つめたい……
 覚醒直前のもやもやした視界が、ゆっくりと澄んでいく。
 研ぎ澄まされていく感覚の中で、双海彰吾が感じたのは、冷たさ。さも寝ている顔に水を掛けられているかのような。皮膚という感覚器が神経を通じて、そんな感覚を脳へと伝えていた。
「ぶふァっ! ケハッ、ケハッ!」
「…………」
「な、何しやがるっ!? 冷たいじゃないかっ!」
 意識を戻すとともに、目の前の人間に、訴える。
「………………はいぃ?」
 如雨露じょうろ片手に応じてきた姉の表情は、「意味がわからない」とでも言いたげだった。
「は、『はい?』じゃないだろ! 寝てる人の顔に水かける奴があるか!?」
「へぇ……寝てたんだ?」
「そんなもん見りゃわかるだろっ!」
「そっかぁ、寝てたんだ」
「…………はぁ?」
 思わず追撃を躊躇う。この女は何が言いたいのか。
「寝・て・た・ん・だ……ふーん」
「……な、何だよ?」
「……いい身分よね」
「……え?」
 もしかして、怒っているのか、と気付いてももう遅い。というか、この人に水掛けられて覚醒した時点で既に手遅れだったという説もある。
「あ、あのー、渚お姉さま……」
「かよわい女1人が、タンス運んで障子張り替えて窓も全部拭いて――汗水垂らして懸命に働いているときに…………寝てたんだ……へーぇ」
「い、いやーそのー……」
「さすが長男よね。倉庫の整理なんてやってられないとかって、ビーチチェアーなんて引っ張り出してきて……」
「こ、これはですね……」
「優雅にお昼寝シエスタなんて……長男の余裕ってやつかしら?」
「…………(汗)」
「うふふふ……」
「は、はは、あはは……」
「うふふふ……」
「はは、はははは……」
「……」
「……」
 この状況で、彰吾は思い出していた……先人たちの教えを。というか、最早それしかないと気付く。
――だっ
「逃げるが勝――ぐぉっ!」
「……」
 全力で逃亡を目論むも、あっさりと襟首を捕まれる。先人たちの知恵も、状況次第では無力だということを痛感しながら、そのまま後ろに引っ張られ、背中から地面に叩きつけられる彰吾。
「い、いたぃ……」
「……さて」
と、屋外用スリッパを履いた右足で、仰向けの右肩を押さえつける姉。
 彰吾の視点からはスカートの中とか見えたりもしたわけだが、実姉の下着などを見て喜べる人種ではない。
「で? 何か言い残すことはあるかしら?」
 かっこいい台詞である。客観的には。
 しかし、言われた当人としては、遺言とか残しといたほうがいいんじゃないかとホントに考えたくなる。そんなオーラがあった。
「あ、あの……」
「んー?」
「く、黒の下着って、渋いっすね――」
「5回ほど死んでこい」
――ゴゥン!(←1メートルほどの高さから自由落下した、8割くらい水が残った如雨露と、哀れな男の子の顔とが衝突した音)