「来たっ!!」
と、神山総一がアパートの隣室の幼馴染、木崎梢の部屋に勢い良く突入していったのも、日付が変わる少し前のことであった。
「き、きゃ――」
「こずえっ! 遂に来たぞ!」
「ぅ、うぅ……」
何が起きたのか一瞬理解できず――不審者が1人暮らしをする自分の家に押しかけてきたのかとすら思い、困惑していた梢だが、扉を豪快に開け放ちこちらに近づいてくる人物の顔を見て、ある程度状況を把握する。
「そ、総くん……」
まあ、彼ならば、この部屋に入ってくることは可能だろう。合鍵も持っているわけだし。
しかし……
「そ、その、何かあったのはわかったから、とりあえず、ふ、服を着させてもらえないかな」
何か嬉しいニュースでもあったのだろう。何やら血走った目で、凄まじいプラスのオーラを出しながら歩む彼のことだ。こちらが風呂上がりで、バスタオル1枚しか纏っていないことなど見えていまい。知らない人が見ると、アブない男に襲われるいたいけな少女の図だが、あるいは、彼との間柄を考えると、そんなこと、わかっていても気にすらしないかもしれない。
「いやしかしだな、おまえの着替など待っていたら――」
「……」
まあ、別に今更彼に裸を見られても、困るというわけではない。幼い頃からそんな機会――一緒に風呂に入るとか、同じ部屋で着替えるとか――はあったし、つい数日前も今日と同様に突然入ってきた彼に裸体を見られている。合鍵を渡したのはその場の流れだったとはいえ、こんな事態も覚悟の上でだ。自分のありのままを彼に見られるのは、嫌ではない。
嫌ではないのだが――
(そ、それでもやっぱり……恥ずかしいんだよねぇ……!)
「これはな、鷹司学園にとって重大な――」
「総くんゴメン!」
「ぉ――!?」
言うや否や、木崎梢渾身の掌底が神山総一の顎を捉えていた。
「――! はっ!」
彼が目を覚ましたのは、見慣れた幼馴染の部屋の中。隣の自分の部屋と少なくとも間取りは同じワンルーム。しかしながら、来るたびに自室よりも一回り広く感じるというこの空間を、総一は建築者の陰謀と主張している。単に彼の部屋が散らかっているだけだという梢の仮説は、なんとなく一蹴されている。
まあ、それはさておき――
「俺は……」
「あ、起きたんだ。さっきは急に倒れるからびっくりしたよ」
上半身を起こし、こちらを見やる総一。既にパジャマを着終えた梢は麦茶を2杯運んでいった。
「そうか……俺は偶然にも掴んでしまった、奇跡的超究極幾何級数的ニュースに興奮しすぎて気絶してしまっていたのか」
「よ、よくわからないけど、そうみたいだね……」
「うむ、それなら仕方がない。納得だ」
「あははは……」
まあ、それで納得してもらえるなら、それに越したことはない。仮にも愛すべき男を殴って気絶させ、それを放置して横でのうのうと着替えていたなどという話は、『木崎梢』史の汚点と成り得る。とはいっても、そのような出来事は、実は既に一度や二度では済まなかったりするのだが。
「ときに梢」
「うん?」
「おまえ、さっき服着てたっけ?」
「えっ!」
やはり気付いていたのだろうか。何やら首を傾げながら総一が唸っていた。
「うむ。どうも、さっきからな違和感がな……俺がこの部屋に入ってきてすぐのとき、おまえが素っ裸だったような気がしてならない」
「え、そ、そんなことないよ」
「そうか……『きゃあん♪ 総くんのエッチ♪ ちょっとあっち向いててっ(はぁと)』みたいなこと言ってなかったか?」
「それ妄想って言うんだよ……」
「むぅ、そうか」
思わず溜め息を吐く。どうやら杞憂だったようだが……そんな妄想でこちらを脅かさないで欲しい、と思わずにはいられなかった。
「よし、真相が解明されたところで、梢よ」
「うん?」
「麦茶をもう一杯」
空になったグラスを両手で掲げる総一。
「あれ、いつの間に――って、私の分も無くなってるし……」
一つは彼の分、もう一つは風呂上りの自分のためにと持ってきたのだが……
「木崎家のインスタント麦茶は美味いからな」
「素直に喜んでいいの、それ……というか、そもそもインスタントじゃないんだけど」
「それをインスタントと言い張るあたり、梢は謙虚な娘だな」
「言ったこと無いよ! それに、人の家のお茶をインスタント呼ばわりする総くんが失礼なだけだよ」
「うむ。確かに。で、麦茶はまだか?」
「……はぁ」
本日何度目かわからない溜め息を吐く。が、すぐに気をとりなおす。この程度、いつものことなのだから……
暫時の後、2杯目、いや、3杯目の麦茶を、ため息を吐きながら梢が総一の前に少し乱暴に置くとほぼ同時に、彼は口を開いた。
「でだな、梢。わざわざおまえの部屋に来たのは他でもない」
「……」
妙に楽しげに話し始めた総一。それを特に期待もせずに黙って見つめていた梢だったが、次に彼の口から出てきた言葉は正直、予想外であった。
「あのな、転校生が来る」
「……え、転校生?」
思わず聞き返す梢。わけのわからない理由でこの部屋に闖入してくることの多い総一だが、今回の話題は案外マトモなのかもしれない。まあ、無断で飛び込んでくる時点で既に、ある意味マトモではないのだが。
「そうだ。女子だ。それもうちのクラスに」
「へぇ……ホントに?」
「ああ。まあ、間違いないと見ていい」
「ふーん……なんで、そんなこと知ってるの?」
「放課後、職員室で教頭と斉藤が話していた」
斉藤というのは、梢や総一のクラスの担任のことである。まあ、特に変哲の無い中年男性教諭だが。
と、ここで疑問が一つ。
「放課後? ……総くん、今日は授業終わった後、すぐ学校出てなかった?」
確か今日、彼は6限終了の合図の数秒後には、荷物を整えて教室を飛び出していった筈だ。まだHRが残っていると言う梢に対し、「そんな時のためにこれがある」とか言いながら、総一君人形と称するぬいぐるみを椅子の上に残して。結局HR後にコメカミをピクピクさせながら斉藤が回収していたが……
「ああ、ゲーセンで格ゲーの新作が入ったと聞いていたからな」
「……じゃあ、なんで先生たちの話、知ってるの?」
「録音したからだ」
「……」
まあ、そんなことだろうと思っていた。
「この辺は抜かりない。それに、今日、斉藤の奴、わけわからん教材運びとか押し付けてきやがったからな。背広に付けてる盗聴器、感度のいいやつに変えてやった」
「や、やめときなよ、そういうの……」
こういう自分の目的のためには、労力を惜しまない。それが神山総一という男だと、わかってはいるのだが……
バレるとシャレにならないような気もするけれど、そこはやはり何か考えがあるのだろう……と思いたい。
「まあそう言うな。そのおかげで、転校生が来るってことを事前に察知できたわけだぞ?」
「そこまでして知っておきたいことでもないよぅ……」
「そんなことでは困る!!!」
と、急に声を張る総一。そして、続けて低い声で梢に迫ってきた。
「おまえには、重要な役割があるのだ……」
「な、なに……」
「なに、簡単なことだ。転校生と、友達になれ」
「…………友達に?」
何を言い出すのかと思えば、というところだ。それは勿論、仲良くなれるのなら、なりたいものだが……
「いいか。理由は一度しか言わないぞ。恥ずかしいからな」
「う、うん」
別に問うたわけでもないのに、わけを話し始める総一。まあ、こういうときは、実は総一本人が言いたいだけなのだと、梢にはわかっていたが……それでも、そんなに恥ずかしそうにするくらいなら、言わなきゃいいのに、とか思わなくもなかった。
「まず……転校生の座席は、窓際の最後列――つまり、俺の横になる」
「……どうしてそう思うの?」
確かその席は、普通に男子生徒が使っていたような……
「裏工作は済んでいる」
「そう……」
ああ、彼のことだから、ホントにやったんだろうな、裏工作とやら。
「でだ。そうなると、一番席の近い女子は、おまえということになる」
確かに、窓際の後ろから2番目の席は、桜庭くんという男の子が座っているので、自然、総一の前に座っている梢が、最も近い位置にいる女子、ということになる。
「相手も女子。おまえが真っ先に友達になる条件が整うというわけだ」
「……」
「そして、おまえはさっさと親友になれ。明日中にだ」
「え、ちょ、ちょっと、いきなり親友ってのは無理があるような……って聞いてないし」
「おまえと転校生が親友になる。そして、俺とおまえは親友。これがどういう意味かわかるか」
「……」
「親友の親友は何だ? 言ってみろ」
「……親友?」
「違う」
え、違うんだ、と思わず拍子抜けする梢。今の流れで行くと、『親友』しかないような……
「親友の親友は……恋人だ」
「そ、そうなんだ?」
「そうだ。それも、白い恋人だ」
「……」
いい加減頭が痛くなってきた。
「…………ていうかそれ、北海道のお菓子じゃないの?」
「うむ……鋭い指摘だ。半分当たっている」
「……半分?」
「おう、そりゃもう、某解熱鎮痛剤の優しさ含有率くらい半分だ」
最早、梢には、何処にツッコミを入れればいいのかすらわからなくなっていた。
「まあ、何にしても、『茶色い恋人』よりはましだろう」
「……それに関しては否定しないけど」
「ま、そういうわけだ。明日、よろしく頼む」
そう言いながら立ち上がり、部屋の出口に向かう総一。その背に慌てて梢が声をかける。
「ちょ、ちょっと待ってよ。一方的にそんな役割押し付けられても困るよ」
「そうかもしれん……だがな、おまえに頼むしかないんだ」
「そう言われても……」
「無口で寡黙でシャイな幼馴染のためだと思って」
「……」
とりあえず、彼の自己認識を矯正させることが最重要課題のような気がしてきた梢だった。
「じゃあな」
「あ、ちょっと!」
と、こちらの呼び止めに耳を貸さず、総一は梢の部屋を後にした。
「……」
追いかけようかとも思った梢だが、どうせ徒労に終わりそうな気がして、やはり溜め息を吐くしかなかった。