1限目が終わる。双海彰吾にとって、それは転校初日、その初っ端の授業だったわけだが……
正直、それどころではなかった。といっても、緊張していたからとか、トイレに行きたかったからとか、授業のレベルが高すぎるからとか、そんな理由では勿論ない。
「…………」
ちらりと隣の席を見る。その席の主――先ほどまでそこに座っていた男子学生の姿は今はない。授業終了のチャイムが鳴るや、前の席の女の子を連れて、廊下に出て行った。
「何だったのやら……」
その2人は、言うまでもなく授業前に目に付いた、あの2人。「どうにも、男に見えて仕方がないのですが?」「な、なんでもないです〜」という2台詞で教室の空気を止めた2人。
どういうつもりだったのか知らないが、彼らのおかげで、変な空気のまま授業が始まるやら、妙な視線を感じるやら……あまつさえ、先ほどの授業の間中、こちらをチラ見しながらメモ用紙の渡し合いまでされると、気にするなというのが無理な話である。
まあ、彼らがいなくなり、とりあえず一息ついてみたわけだが……
なんとなく周りを見回し、わかってはいたものの再認識する。
(ぁー、やっぱあまり良くない空気だな……)
転校生というのは基本的に、その初日、自らアプローチして友達を作ろうとする人は少ない。
“誰かが話しかけてくるのを待つ”
これが、一般的なスタイル。というかまあ、別にそこまで考えてじっと待ってるわけではなく、ただ緊張して話しかけられない、というのが普通なのだろうが。
普通という意味では、やはり気を利かせた周りの席の誰かが転校生に話しかける、というのもセオリーである。よくアニメとかマンガで、美少女転校生が現れると、クラス中の男子が競うように話しかけにいくが、現実ではまあ、あり得ない。日本人がそんな社交的な人種であるわけがない。
むしろ美少女とかが現れると、あまり話しかけないくらいではないだろうか。緊張とかそんな理由で。
「…………」
さて……現在双海彰吾はその“周りの人から話しかけられないでいる転校生”に該当している。というか“周りの人”の6割6分7厘――隣の席と斜め前の席の2人がいない、というのも大きな理由ではあるのだが。残りの3割3分3厘にあたる方は、どうやら寡黙キャラのようで、こちらに背を向けたまま話しかけてくる気配も無い。
(……どうしたもんかな)
と、右手の人差し指で髪を掻いていると……教室の後ろのドアが開く。見るともなしに目を向けると、入ってきたのは斜め前の席の女の子。
彼女は真っ直ぐこちらを見つめて歩み寄ってくる。途中、置かれていた椅子に足をぶつけ、一瞬顔を顰めるが、すぐに立ち直り、歩き続けてくる。
そして、彰吾の机のすぐ隣まで来て彼女は足を止めた……
「…………え、えっと」
「…………?」
「ご、ごめん、ちょっと深呼吸」
「は?」
何故か急に真っ赤になったかと思うと、後ろを向いて「すぅ……はぁ……」とやりだす彼女。
(な、なんなんだ……?)
わけがわからず、こちらがぽかーんとしているうちに彼女は深呼吸を終え、「よしっ」とこちらに向き直った。
「あ、あの……」
「はい」
「ちょっとお尋ねしますが……」
「……何?」
遠慮がちにというか、あまり初対面の相手に話しかけるのに慣れていないですと言わんばかりの緊張感を纏いながら、彼女はこう続けた。
「ご……ご趣味は?」
転校生、双海彰吾に挑みかかる(?)梢を、教室の外から見守る一対の目があった。まあ、言わずもがな、彼女の幼馴染、神山総一なのだが。
「……梢の奴、ガラにも無く緊張しているな」
何気なく呟く総一。
彼女はどちらかといえば、人見知りはしない性格だ。勿論、誰彼構わず話しかけたりはしないし、それどころか、交友関係も決して広いと言えるものではない。しかし、総一の知る限り、別にそれは彼女が話すことを遠慮しているわけではなく、無駄に交友関係を広めようとしていないだけらしい。“友達は多いほうがいい”というのが、世間ではわりと一般論のようだが、梢はそうは考えていないようだった。
当然ながら、彼女のそんな主義性格をクラスメイトたちは知っておらず、梢は静かな女の子というイメージを持たれがちである。昨年の秋、社会化学習という名目の校外班別行動の際、女子数名のグループに絡んできた若い男2人を毅然とした態度で追い払った姿が一部の女子の間で噂として流れ、彼女の印象は若干変化があったのだが……それでも、クラスメイトの目から見た彼女の学校生活での様子は、やはり交友関係の広くない普通の女の子のそれ以上でも以下でもなかった。
故に、今……話しかけづらい雰囲気になってしまった件の男子転校生にアプローチしていく彼女の姿はクラスメイトたちに、「あの木崎さんが?」という驚きを与えている。まあ、とは言っても、その“話しかけづらい雰囲気”を作り出した原因は、彼女とその幼馴染なので、ある意味妥当な尻拭い、と納得する者も少なくないだろうが。
話が逸れたが、結局、クラスメイトの印象はどうであれ、彼女自身は初対面の相手だからといって、人見知りをして緊張してしまうというようなことは珍しい、と総一は考えているのだ。いや、彼女と言えど勿論多少は緊張するだろうが、一旦呼びかけてから、どんな風に話し始めるかを考えてなかったことに気付き、慌てて深呼吸してその間に考える、なんてことをするほどとなると、久しく記憶に無い。
何故彼女はあれほどまで緊張しているのか。その緊張は如何なる理由によるものなのか。
考えうる理由としては大きく2つ。
1つ目は状況によるもの。クラス中の注目を集めているという状況。幼馴染から必ず友人(親友)になるよう求められている状況。そして、その幼馴染が出会い頭に失礼極まりない質問をぶつけたという状況。それらの中に理由が潜んでいるというのが1つ目。
しかし、このとき神山総一は、この1つ目の可能性に関して、小指の先ほども考えなかった。理由は簡単。本人が空気を読まない達人なのだから。状況によって緊張するかどうか変化するというのは、神山総一の思考において、まあほぼあり得ないことなのである。この可能性に関して、考えることすらしなかった。
故に、総一が考えたのは2つ目のみ。すなわち――
「あの転校生に、梢を緊張させる理由がある……」
ただの男子生徒に梢はあそこまで緊張しないはずだ。あの転校生は只者ではない。そうだ。何かおかしいはず。
「……どこかに綻びがあるんだ。普通との相違。それを梢は無意識に感じ取っている。そしてそれは恐らく……奴が男装した女子であるが故のものに違いない!」
「何を馬鹿なことを言ってやがる」
――コツンッ。
唐突に脳天に衝撃。激しいものではなかったが、硬質な何かで頭を叩かれたような一発。
「誰だっ! 俺の独り言に無断でツッコんだ上に、繊細なブレインに乱暴する奴は!?」
「俺だが」
「やはり貴様か斉藤!」
――ゴツンっ!
「うぅっ」
「教師に向かって貴様とか言うな。あと堂々と呼び捨てにするな。そんでもって敬語を使え」
先ほどの倍ほどの威力の拳骨を受け、流石に頭を抑えて呻く総一。そのすぐ傍には先ほどまで教壇で国語科の授業を展開していた斉藤教諭が溜め息を吐きながら立っていた。
「で、今回は何やってるんだ」
「……『何やってんだ』とは?」
「また何か仕組んでるんだろう?」
斉藤の、どうせこの1人が転校してゆき、1人が転校してくるという異常事態にこいつが絡んでいないわけが無い、と言わんばかりの視線に、総一はムッとなる。実際その通りなのだが。
「仕組む? 俺が何か企んでいるとでも?」
「その通りだ」
「まあ別に否定はしませんが」
「……ちっとは悪びれるとこじゃないのかそこは」
やや疲れたような顔で言ってくるが、気にしない。
「しかし、仕組んでいるのは斉藤の方も――」
――ゴツンッ。
「――斉藤先生の方も、仕組んでいるのではないですか?」
「仕組む? 俺が何か企んでいるとでも?」
「その通りです」
「……俺は否定するぞ」
「あ、ズルいっ!」
そこは流れ的に否定しちゃいかんだろう、と声を上げる総一だが……
「いや、事実何も企んでないし……」
「隠したって無駄ですよ」
「……」
「俺にはわかってます。あの転校生には秘密がある……」
「……さっきも馬鹿にしつつ頭叩いたような気がするが、もう1回馬鹿にされたいなら言ってもいいぞ」
「では聞きます……」
「……」
「……あの転校生……女でしょ?」
「…………」
こちらの問いに、黙する中年教師。それはつまり――
「違いますか?」
「……」
やはり答えない。そして数秒後、明後日の方に視線を向けながら、片手で頭を支えるようにして、口を開いた。
「いや、正直なところ、君がMだとは全く思っていなかった……」
「……は?」
「そこまで馬鹿にされたかったのかね……?」
「む……」
それは、否定の言葉だった。残念ではあるが、まあ、当然の応えだろう。あの転校生がもし真に男なら勿論だが、そうでなくてもあのようにカモフラージュをしているのだとしたら、そう簡単に認めるわけにはいかないはずだ。
ならば、仕方がないというもの。こちらも――
「証拠を見せれば、認めざるを得ないはずだ」
「……証拠?」
「ふふふ。これだ」
懐から、カセットテープと卓上ラジカセを取り出す。
「つーか、おまえ今そのラジカセどっから出したんだ……?」
「そんなことはどうでもいいんです。この中の証拠から逃げようとして、適当な話題を見つけないで下さい」
「……そんなつもりは毛頭無かったが、まあいいや。で? そのテープにあの双海君が女である証拠が録音されてると?」
「ええ。そしてそれだけではありません。彼が女であるということを、斉藤先生が知っている、という証拠もです」
唇の端を歪め、意地悪な笑みを向ける総一。
「ほぅ……そりゃあ興味深いというか何というか……聞かせてもらおうじゃないか」
こちらの笑みに対抗するかのように、悪役っぽい(?)顔になる斉藤。
「そんな余裕の表情を浮かべていられるのも今のうちだ……! これを聞くといいっ! ……ポチっとな」