緊張。英語で言うと、テンション。慣れない物事などに直面して、心が張りつめてからだがかたくなること。
確かに、今、木崎梢は「慣れない物事に直面して」いるし、「心が張りつめてからだがかたく」もなっていた。
そんなことは梢本人も自覚している。しかし、かといって……
「ご、ご趣味は?」
自分の口からそんな言葉が発せられたことに、梢は驚き、焦らずにいられなかった。
(な、何言ってるんだろ、わたし)
相手もぽかーんとしている。当然だ。いきなり近づいてきた女子生徒の口から、お見合いの典型的な第一声のような言葉が飛んできたのだ。自分が彼でもぽかーんとするだろう。
「えっと……趣味?」
「あ、は、はい……」
やや苦笑しながら尋ねてくる彼。そして、自分自身に戸惑っている梢。なんというか、これではどちらが転校生なのかわからない。
「んー……改まって趣味って訊かれると困るけど、そうだなぁ……料理とか?」
「え、料理? へぇ、料理するんだ?」
「あぁ、まあ。姉が料理そんなに上手くないからね」
「……お姉さんがいるんだ?」
「一応ね。自慢できるような姉じゃないけど」
そう言いながら苦笑する彼。その対応が落ち着いているため、こちらも次第に落ち着きを取り戻してくる。
「それで、えっと……君の名前、教えてもらっていい?」
問われ、自分が名乗っていなかったことに気付く。
「あ、ご、ごめんなさい。木崎梢って言います」
「そう。木崎さんね」
「はい」
「俺の方は双海彰吾……って朝も言ってたから覚えてるかもしれないけど」
そう言いながらやはり苦笑する彰吾。
本当に彼は落ち着いている。梢は、彼がこういったやり取りに慣れているように感じていた。落ち着いて会話し、そして、相手を落ち着かせることにも。
「木崎さんはどうなの?」
「え?」
一瞬、何のことかわからず、思わず疑問符を返す。お互いが名乗る前にしていた話というと……
「兄弟とか、いるの?」
「ああ、兄弟の話だったね……いないよ。一人っ子」
「ふーん……兄弟とか欲しかったりするの?」
「……え?」
と、不意打ちのような質問。彼にしてみれば、話の流れで、何気なく問いかけただけなのだろうが……
「……そうだね。欲しいかも」
少し考えた末、そう答えておく。
梢は、兄弟姉妹というものに憧れていた時期があった。いや、今でも兄弟姉妹が欲しくないわけじゃない。しかし、もし彼女に兄弟という存在があったとしたら、今の自分の人間関係が大きく変わってしまっていたかもしれないということを考えると……安易に欲しいとは言ってはいけないのかもしれない。特に、姉・兄に関しては……
「できれば、弟か妹が欲しかったかな」
「あー、うん。兄弟は年下のが多分いい」
頷きながらこちらに同意してくる彰吾。彼にはこちらの事情など知る由もないのだろうが……それはそれでいい。
「年上は、なんていうかな……出来のいい兄とか姉ならいいんだけど、厄介な姉とかだと正直困る。というか困ってる」
「そ、そうなんだ」
「ああ、正直、一人っ子の木崎さんが羨ましいくらいだ」
「そうかもしれないけど、一人っ子は一人っ子で、いろいろとあるよ?」
「まあ、確かにそうだろうけどね……」
「ふふ」「はは」とお互いに笑い合ったところで、教室内に響き渡る鐘の音。廊下から戻ってくる生徒、自分の席に急ぐ生徒、開いていた弁当箱を慌てて片付ける生徒。どうやら最初の休み時間はここまでらしい。
「それじゃあ。私、双海君の斜め前の席だから」
「ああ、知ってる」
「そう? 何かあったら、声掛けてくれていいから」
「ありがとう」
「それじゃね」
そう言って自分の席――すぐそこだが――に戻る梢。と、同時に教室の前の扉から、英語担当の教師が入ってきた。
「はい。授業始めまーす。号令」
「起立……礼……着席」
クラス委員長の号令に合わせた授業開始の挨拶をしながら、梢は「ふぅっ」と息を吐いていた。
彼の対応が冷静だったために、落ち着いていられたとは言っても、やはり多少緊張していたことに変わりは無い。着席と同時に、体の力が抜けそうになった。
「……」
しかし……
(我ながら、あの第一声から、よく普通の会話ができたものだなぁ……)
というかまあ、あの後会話がちゃんと続けられたのは、実質彼のおかげなのだが。とりあえず、変な人として見られるような事態は避けられたと考えている。そういう意味で、彼へのファーストコンタクトは成功したと言えよう。
とはいえ、何故あそこまで緊張していたのか。自分でも理解できないところである。まあ、緊張の度合いなど、理由があって変化するとは限らないのかもしれないが。
とにかく、彼への接触という目的は達せられたのだから、問題なかろう。
(友達って関係に少なくとも一歩近づけたのだから、総くんもきっと――)
と……ここへ来て、梢はハッとする。そういえば、もう一つ、目的があったような。
『奴が女子であるという確証を掴むんだ』
「あ……」
完全に忘れていた。
彼が本当に男なのか。それとも、総一の言うように、男装した女なのか。それを調べるのも目的の1つだったはずである。しかし、緊張しきっていた彼女は、深呼吸のあたりから、既にその目的を忘れていた。
まあ、実際のところ、どうせ男なのだから、確かめる必要があることではないのだが……それでは総一が納得するわけもない。
「……」
ちらりと……梢は後ろの席の様子を窺ってみた。
そこには、梢のあげた戦果を期待に満ちた表情で待ちわびる、幼馴染の姿が……
「あれ……?」
無かった。そこにあったのは、主のいない席が1つ。梢をけしかけ、廊下からこちらの様子を窺っていたはずの彼が戻ってきていなかった。
「……まいっか」
疑問に思いつつも、第2の目的における成果がなかった梢は、彼にそれを報告しなくてすむということに、とりあえずホッと息を吐いていたのだった。